東京湾広域アサリ浮遊幼生調査(アサリプロジェクト)
III. 秋季東京湾におけるアサリ浮遊幼生の動態
1.はじめに
8月の観測によって、@自然あるいは人工の干潟や浅場だけではなく、港湾区域のような水深のある場所もアサリ幼生の供給場所として機能していること、A幼生の殻長成長速度は1日当たり15〜18
μmに達し、約10日間の浮遊生活を過ごした後、殻長210 μm程度で着底生活に移行すること、Bアサリ幼生の分布には北風によって引き起こされた密度フロントによる収束機構や、ミズクラゲおよび夜光虫による捕食が作用していること、などが示唆されました(第II章4.4参照)。東京湾の海況は季節によって大きく異なり、10月の水温は8月よりも大幅に低下します。また、8月は南偏風が卓越するのに対して、10月には北偏風が卓越します(第2港湾建設局,1974参照)。従って、10月におけるアサリ幼生の成長や生残過程は、8月とは大きく異なることが予想されます。さらに、8月の観測では確認できなかった幼生の供給源が存在する可能性も考えられます。ここでは、「東京湾広域アサリ浮遊幼生調査」の10月の観測結果を基に、アサリ幼生の発生場所や成長速度、浮遊期間について明らかにするとともに、幼生の時空間的な分布の変動要因について考察します。 |
2.海況
東京湾の湾軸に沿って、水温,塩分,σtおよびDOの鉛直分布を求めました(図III-1)。水温は17〜22℃の範囲でした。水深0〜25 m層における水温は21℃前後であり、鉛直的にほぼ一様でした。塩分は27〜34の範囲であり、水深5〜15 mに躍層が観察されました。σtは18〜25の範囲であり、塩分とほぼ同様の鉛直分布を示しました。密度躍層は水深5〜15 mに分布しました。10月17日から18日にかけて台風21号が関東付近を通過した結果、密度躍層は10月19日には大きく乱れましたが、10月23日には水深8 m前後に形成されました。DOについては、4 mg O2 ℓ-1以下の貧酸素水塊は、解消されるには至らず、10月19日および23日には観測点3〜23にかけて海底付近に貧酸素水塊が分布しました。 水深0,4,8 mにおける海況の水平構造を図III-2に示します。水温は21℃前後であり、水平的にもほぼ一様となりました。塩分は15〜32の範囲であり、北偏風が吹いたときの特徴である湾軸に沿った等値線の分布を示しました。低塩分水は河川水の影響を受ける湾奥東側の水深0 mに主に分布しました。10月15日の水深0 および4 mには、10月9日に関東付近を通過した台風20号による豪雨の影響と思われる低塩分水が、東京都から神奈川県側に沿った広い範囲で観察されました。σtは塩分とほぼ同じ水平分布を示し、9〜23の範囲でした。河川水の影響を受ける湾奥の水深0 m、および台風の豪雨によると思われる10月15日の水深0および4 mを除いて、σtの水平的な変動の勾配は緩やかでした。水深10 mにおけるDOは、湾奥で4.5
mg O2 ℓ-1以下の貧酸素状態となっているものの、その範囲は8月と比較しておよそ半分程度に縮小しました。 |
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3.アサリ浮遊幼生の出現密度と殻長頻度分布
8月の観測に続き、大量のアサリ幼生を採集することができました。目合50および100
μmのネットによって殻長90〜230 μmの幼生が採集されました(図III-3)。D型幼生の殻長は90〜130 μm、殻頂期幼生の殻長は130〜230
μmでした。殻長組成は1〜2峰型を示し、ピークは10月15日には殻長120〜140
μmに、10月19日には殻長110および160〜170
μmに現れました。10月23日の殻長のピークは140 μmでした。 幼生はほぼすべての観測点から採集されました(図III-4)。10月19日にはD型幼生が多量に出現し、最大出現密度は5390個体m-3に達しました。10月23日には殻頂期幼生が非常に多く出現し、最大出現密度は2670個体m-3に達しました。 D型幼生が多く出現した10月19日の出現密度と殻長頻度のデータを用いて、殻長110 μm以下のD型幼生の出現密度を算出し、その水平分布を求めました(図III-5a)。殻長110
μmのD型幼生は、三番瀬,三枚洲〜羽田,市原,川崎〜横浜,そして金沢湾周辺の海域に、1000〜4800個体m-3の非常に高い密度で分布しました。 |
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4.考察
4.1 アサリ幼生の殻長成長速度,発生日,および浮遊期間の推定
「東京湾広域アサリ浮遊幼生調査」では目合100 μmのネットと併せて、目合50 μmのネットを使うことによって、D型期を含めたアサリ幼生の正確な定量が可能となりました(第II章4.1参照)。本研究で得られたデータは東京湾におけるアサリ幼生の出現状況を反映していると考えられます。アサリ幼生は10月19日にはD型期、10月23日には殻頂期というように、どちらか一方の成長段階の個体群が優占して現れたことから(図III-4)、幼生の出現密度の時間的な変動は主に一連の成長過程によるものと推察されます。すなわち、10月19日に最も個体数の多かった殻長110 μmのD型幼生は、10月23日には最も優占した殻長140 μmの殻頂期幼生に成長したと思われます(図III-3参照)。この同一である個体群の出現密度の変化から、アサリ幼生の個体群密度の減少率は4日間でおよそ24%と推定されました。この値は8月における減少率のおよそ2倍です(表III-1)。同様に、間に台風が通過した10月15日から19日にかけてのアサリ幼生の個体群密度の減少を、同一の個体群と考えられる「10月15日に優占した殻長120〜140 μmの個体群」と「10月19日に優占した殻長150〜180 μmの個体群」の出現密度の変化から求めた結果(図III-3参照)、4日間でおよそ72%に達することが明らかとなりました。また、これらの個体群の殻長の経時変化から、アサリ幼生の殻長成長速度は1日当たり8〜9
μmと推定され、8月の殻長成長速度よりも大幅に低下していることが明らかとなりました(表III-1)。 |
殻長成長速度から幼生の発生日および浮遊期間を推定することができます。水温20℃の条件下では、アサリの卵は放出された後2日で殻長100 μm程度のD型幼生に成長することから(鳥羽,1987)、10月19日に優占した殻長110 μmの幼生はD型幼生となってから1〜2日、卵として放出されてから3〜4日経過していると考えられます。従って、この個体群が卵として放出されたのは10月15日〜16日頃と推定されます。 10月の観測で採集された幼生の最大殻長は230 μmであり、殻長210
μm以上の幼生の出現頻度は低下しました(図III-3)。8月の観測でも殻長210 μm以上の幼生の出現頻度は低下したことから、東京湾におけるアサリ幼生は殻長210 μm前後で浮遊生活から着底生活に移行していると考えられます。室内飼育実験におけるアサリ幼生の着底時の殻長はおよそ185〜230
μmであり(鳥羽,1987参照)、本研究結果を支持しています。10月23日に優占した殻長140 μmの幼生が、殻長成長速度8〜9
μm d-1で殻長210 μmに達するのはおよそ8日後、すなわち10月31日前後です。この個体群は「10月19日に優占した殻長110 μmの個体群」と同一であり、10月15日〜16日に卵として放出されたことから(上記参照)、10月の東京湾におけるアサリ幼生の浮遊期間はおよそ15日と考えられます。 8月のアサリ幼生の浮遊期間はおよそ10日であることから、10月における幼生の浮遊期間は8月と比べて5日間ほど長くなることが明らかとなりました(表III-1)。着底生活に移行する殻長サイズは8月および10月ともに210
μmであり、両月の間に違いはないことから、10月におけるアサリ幼生の浮遊期間の延長は、殻長成長速度の低下によるものと思われます。アサリ幼生は餌として10 μm以下の小型の植物プランクトンを捕食すると考えられています(佐々木,2001)。観測を行った期間の東京湾における小型の植物プランクトンの出現量については不明です。しかし、本研究で得られた幼生の殻長成長速度は、鳥羽(1992)が飼育実験から得た殻長成長速度(水温21℃において4.4
μm d-1)よりも非常に高いことから、10月の東京湾におけるアサリ幼生は餌量による成長の制限を受けていないと思われます。10月におけるアサリ幼生の殻長成長速度の低下は、水温が下がったことにより幼生の活性が低下したためであると考えられます。 |
4.2 幼生の発生場所
殻長110 μmの幼生が多く分布した三番瀬,三枚洲〜羽田,そして金沢湾周辺の海域は、アサリの生息域とほぼ一致します(図I-8参照)。殻長110
μm前後のD型幼生は卵として放出されてから3日程度であることから、生まれた場所からそれほど分散していないと思われます。従って、三番瀬,三枚洲〜羽田,そして金沢湾周辺の海域に加えて、小型幼生が多数採集された川崎〜横浜および市原周辺の海域で、アサリの幼生は主に発生したと考えられます。 8月の観測に続き、アサリの産卵は広範囲でほぼ同時に起きていることが明らかとなりました(表III-2)。アサリの産卵は台風などによる生息場所の攪乱などによって誘発されることが知られています(松村ら,2001)。観測期間中、台風21号が10月17日から18日にかけて関東付近を通過しました。しかし、アサリ幼生が生まれたと考えられる10月15日前後には、台風21号は台湾付近にあったことから、台風による生息場所の攪乱が、今回観察されたアサリの同時産卵を誘発したとは思えません。アサリの同時産卵の誘発要因については、今後さらに調査が必要です。 |
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8月の観測では非常に多くの小型幼生が採集された盤洲および富津周辺の海域からは、10月の観測では小型幼生は殆ど採集されませんでした(図III-5a)。盤洲や富津には自然の干潟や浅場が残されており、これらの海域におけるアサリの現存量は非常に大きいと言えます(鳥羽,2002)。加えて、観測を行った時期に、盤洲や富津におけるアサリの大量斃死に関する報告は無いことから、これらの海域で小型幼生が少なかったのは親貝の激減などによるものではなく、大規模な産卵が行われなかったことによると考えられます。アサリの大規模産卵のタイミングおよび誘発要因は、海域ごとに異なることが示唆されます。 三番瀬や金沢湾には自然あるいは人工の干潟や浅場があり、そこには多くのアサリが生息しています(新保ら,1999;鳥羽,2002)。しかし、8月の観測では、周辺の海域からは小型幼生は殆ど採集されませんでした(表III-2)。この原因として、三番瀬では青潮や江戸川からの淡水の大量出水、金沢湾では潮干狩り、によるアサリ親貝の激減が示唆されました(第II章4.3参照)。三番瀬や金沢湾ではアサリの種苗放流を行っていないことから、親貝の人為的な増加は起こらないはずです。アサリの稚貝は、夏季の高い水温条件下では急激に成長することが可能であることから(柿野・鳥羽,1990)、夏季に生き残った稚貝が成長し、10月までには三番瀬および金沢湾における親貝の個体群に加入したと考えられます。 三枚洲〜羽田,市原,そして川崎〜横浜周辺の海域からは、8月の観測に引き続き、非常に多くの小型幼生が採集されました(表III-2)。三枚洲〜羽田周辺の海域にも自然あるいは人工の干潟や浅場が存在し、アサリは多摩川河口域(桑原,1990)や三枚洲周辺(風呂田,1997)に生息しています。市原や川崎〜横浜周辺は港湾区域であり、周囲は主に鉛直護岸によって囲まれています。市原周辺の地先の海底には砂が堆積しており、そこにはアサリが生息しています(鳥羽,私信)。また、横浜周辺の海域にもアサリの生息が確認されています(桑原,1990)。これらの海域におけるアサリの現存量に関する定量的な研究は極めて少ないですが、D型幼生の出現密度は三番瀬や金沢湾周辺の海域に匹敵することから、三枚洲〜羽田,市原,そして川崎〜横浜周辺海域のアサリの産卵個体群は、東京湾における幼生の供給に大きく寄与していると思われます。また、自然および人工の干潟や浅場だけではなく、港湾区域のように水深のある場所も、砂の堆積などのアサリの生息条件が整えば、幼生の供給場所として機能することが示唆されました。 |
4.3 幼生の分布と環境要因との関係
8月の観測に引き続き、10月の観測においてもアサリ幼生は東京湾の全域から採集されました(図III-4)。アサリ幼生は浮遊している間に広範囲に拡散していることから、幼生は発生した場所とは異なる場所に着底している可能性があります。同一の個体群である、「10月19日に出現した殻長110 μmの個体群」と「10月23日に出現した殻長140 μmの個体群」の水平分布を比較してみます(図III-5)。三番瀬,三枚洲〜羽田,川崎〜横浜,そして金沢湾などで発生した幼生は、水深0〜4 mおよび4〜8 m層における個体群については湾口へ、水深8〜12 m層における個体群は湾内へ移動している傾向が見られました。8月の観測結果からは(第II章参照)、東京湾におけるアサリ幼生の分布には、北偏風によって引き起こされた密度フロントによる収束機構や、ミズクラゲおよび夜光虫による捕食が作用していることが示唆されました。また、アサリ幼生の分布と貧酸素水塊との関係は不明でした。10月の観測では、ミズクラゲや夜光虫などの肉食性のプランクトンは殆ど採集されなかったことから、他の生物による捕食は、10月のアサリ幼生の分布や個体群密度の減少にそれほど作用していないと考えられます。また、10月における海底付近の貧酸素水塊の規模は8月よりも小さなことから、幼生の分布と貧酸素水塊との関連も低いと思われます。餌量についてはアサリ幼生の成長の制限要因とはなっていないと考えられることから(上記4.1参照)、観測期間中、餌不足による幼生の大量死は起きていないと思われます。 一般に、東京湾において北偏風が連吹した場合には、密度躍層以浅の海水は湾外へ流出し、密度躍層以深の海水は流出分を補うために湾内へ流入します(第2港湾建設局,1974参照)。夏季の東京湾では南偏風が卓越しますが、北偏風が連吹した時には、塩分の高い下層の水が湧昇する現象が、湾奥部から千葉県一帯にかけてしばしば観察されます(第2港湾建設局,1974参照)。8月の観測でも、市原〜盤洲に沿った海域において、湧昇によると思われる顕著な密度フロントが観察されました(図II-2)。夏季に北偏風が連吹したとしても、アサリ幼生はフロントによる物理的な収束・発散によってフロント周辺の海域に滞留し、結果として、湾外へ流出しにくくなると考えられます。10月の東京湾では、北偏風が連吹しても顕著な密度フロントは河川水の影響を受ける表層以外では殆ど観察されませんでした(図III-2)。これは水温が空間的に一様となるにともない、σtの変化も小さくなったことによると思われます(表III-1)。従って、フロントによる収束・発散、すなわち、アサリ幼生が湾内に滞留する現象が起きにくく、卓越する北偏風によって密度躍層以浅にいる幼生の多くは湾外へ流出している可能性があります。10月23日の観測では、密度躍層は水深8 m付近に観察されたことから(図III-1)、10月19日から23日にかけて観察された水深0〜4 m層および4〜8 m層におけるアサリ幼生の分布は、北偏風によって引き起こされた上層水の湾外への流出によるものと推察されます。加えて、8月と比較して浮遊期間が長くなることや、秋季に頻繁に来襲する台風による風雨が幼生の湾外への流出を助長していると思われます。対照的に、水深8〜10
m層において観察されたアサリ幼生の分布は下層水の流入によるものと思われます。密度躍層以深にいるアサリ幼生については湾内に留まることができる個体の割合が高いと考えられます。 |
5.おわりに
三番瀬では最近10年以上に渡って、アサリの総個体数に対する稚貝の出現率が低下していることが報告されています(鳥羽,2002)。三番瀬ではアサリの種苗放流を行っていないことから、天然稚貝の出現率の低下は東京湾における幼生の生残過程の変化よるものと思われます。東京湾ではアサリの産卵期は春季と秋季の2回で、主産卵期は春と考えられています(鳥羽ら,1993)。しかし、冬季におけるアサリの大量斃死によって、東京湾、特に三番瀬では春先はアサリの現存量が最低となる時期であることから、産卵期は事実上、秋季だけの1回となっている可能性があります(鳥羽,2002参照)。さらに、本研究結果が示すように、秋季に発生した幼生については、湾内の浅場や干潟などに着底できる個体の割合は低いと思われます。これらのことが稚貝の出現率の低下、さらには、東京湾におけるアサリ現存量の減少の一因となっている可能性があります。今後、数値計算などにより、現在と過去の流動場やアサリ幼生の滞留の状況の違いなどを分析することにより、より詳細な検討ができるでしょう。 |